2014年09月28日 この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城の麓に位置する。神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。創立は1530(享禄3)年。アンチラとは薬師如来に仕える十二神将のひとり、安智羅大… 続きを読む 安智羅明神
月: 2014年9月
真田氏館跡
2014年09月28日 真田氏館跡は、真田氏の上田城築城以前の居館といわれ、現在でも「御屋敷」と呼んで親しまれている。また、中世豪族の居館の形態がほぼ完全な形で保存されており、真田氏一族の貴重な遺構として昭和42年に長野… 続きを読む 真田氏館跡
日向畑遺跡
2014年09月28日 この周辺は真田氏の最初の居館跡と考えられている。遺跡はその西側の部分にあり発掘調査の結果五輪塔、宝篋印塔を墓標とし、火葬骨を埋葬した墳墓跡であることが分かった。石塔群の形態からみて、室町時代から戦… 続きを読む 日向畑遺跡
松尾古城
2014年09月28日 左側に神川の本流、これに右からの角間川。神川にそって国道144号線。角間川をさかのぼると、角間峠と続く地蔵峠を越えて国道18号線に通ずる交通の要衝で真田発祥当初の城跡と考証されている。本郭は山の中… 続きを読む 松尾古城
信綱寺
2014年09月28日 大柏山 信綱禅寺当寺の創建は室町期、横尾城の東の梅ノ木に横尾氏の菩提寺として好雪斉大柏寺と呼ばれ、横尾氏滅亡(上田原合戦)後、真田信綱公が寺を打越に移し、大光智照禅師を迎え大柏山打越寺と名付けられ… 続きを読む 信綱寺
真田本城
2014年09月28日 真田氏本城(真田山城)跡この城は、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれます。真田氏館跡や原の郷(本原一帯)へと続くなだらかな南斜面には何段もの広い段郭を連ね、他の三方は急傾斜ですが、要所… 続きを読む 真田本城
山家の真田氏館跡
2014年09月28日 山家の「真田氏館跡」ここは戦国時代の真田氏初代幸隆の頃、本原の「お屋敷」に移る前、一族が住んでいたのではないかとみられている場所で、真田の旧集落のほぼ中央(字山家)にあり、南北約100m、東西約6… 続きを読む 山家の真田氏館跡
山家神社
2014年09月28日 平安時代の延喜・延長年間に編纂の「延喜式 神明帳」と言う法典に収載されている由緒正しき神社である。創立は不詳であるが、この地域の産土神(守り神)であり、四阿山(山頂に奥宮が鎮座)を源とする神川沿岸… 続きを読む 山家神社
長谷寺
2014年09月28日 真田山長谷寺当寺は往古「種月庵」という無住の小寺に、天文16(1547)年に真田幸隆公が上州安中の長源寺より晃運和尚を招いて「真田山種月院長谷寺」として創建された。天正16(1588)年真田昌幸公… 続きを読む 長谷寺
鐘かけの松
2014年09月28日 天文19(1550)年、武田信玄が村上義清の山城だった戸石城を攻めた際、本陣近くにあった松の枝に鐘をかけて鳴らし、進軍や退却の合図にしたため、「鐘かけの松」と言われるようになった。この松は三代目で… 続きを読む 鐘かけの松
砥石城
2014年09月28日 本城の南にある砥石城 砥石城跡この城は東太郎山の一支脈が、神川に沿って南方に突き出している高い尾根に構築され、本城を中心に北に桝形城、南に砥石城、南西に米山城を配した堅固な山城で、総称して砥石城と… 続きを読む 砥石城
生島足島神社
2014年09月28日 この生島足島神社には、武田信玄及びその部下の武将らの起請文が数多く残されています。これらは展示室に展示されているので無料で閲覧可能ですが原本ではなくコピーだと思います。残されている資料は大きく分け… 続きを読む 生島足島神社
観音寺
2014年09月28日 上田原合戦討死者菩提寺観音寺信玄が村上義清と戦い地の利にまさる義清によって敗戦の苦汁を飲まされたといわれる。信玄自信も傷を負い、武田勢は上原城に退却を余儀なくされた。村上、武田両軍合わせて1万7千… 続きを読む 観音寺
信玄道
2014年09月28日 天文17(1548)年2月、甲斐(現在の山梨)を出発した武田晴信(後の信玄)は大門峠、砂原峠を越え、倉升山のすその御陣ヶ入畑に陣を敷いた。いっぽう村上義清は天白山のふもとの塩田川原に、産川を前にし… 続きを読む 信玄道
無名戦士の墓
2014年09月28日 石久摩神社の本殿裏を進むと道路があってその先は田圃でした。収獲された稲が干してありましたがその中に無名戦士の墓があります。 2009年10月04日 石久摩神社の本殿裏を進むと道路があってその先は田… 続きを読む 無名戦士の墓
小島権兵衛の墓
2014年09月28日 天文17(1548)年、甲斐の武田晴信(信玄)と村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方・甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信も傷を負い武田軍が大敗した。村上… 続きを読む 小島権兵衛の墓
屋代源吾の墓
2014年09月28日 伝 屋代源吾の墓(下之条壱丁田)天文17(1548)年、甲斐の武田晴信(信玄)と村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方・甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信… 続きを読む 屋代源吾の墓
雨宮刑部之墓
2014年09月28日 上田原合戦のあらまし天文17(1548)年2月甲斐の武田晴信(後の信玄)は、大軍を率いて、小県郡に攻め込んだ。地元葛尾城主村上義清はこれを迎え討ち、同月14日この地で激しい合戦が行われた。この戦い… 続きを読む 雨宮刑部之墓
石久摩神社(上田原古戦場碑)
2014年09月28日 天文17(1548)年旧暦2月、信濃攻略を進めていた武田信玄と、坂城町の葛尾城を本拠とする村上義清が武力衝突したのが上田原合戦です。信玄は南東にある倉升山、義清は北西にある天白山の麓にそれぞれ陣を… 続きを読む 石久摩神社(上田原古戦場碑)
伝板垣駿河守信方の墓
2014年09月28日 板垣家は、甲斐源氏・武田信義の流れをくむ武田家の名門です。信方は、武田信虎・信玄の二代に仕えた武田家の重臣であるとともに、傅役として若き日の信玄を支えてきたことから、信玄から大きな信頼を得ていたと… 続きを読む 伝板垣駿河守信方の墓
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