2013年12月30日 高天神城全景 高天神城想像図 追手門 元亀2年3月武田信玄2万5千騎を率いて来攻、城門を襲ったが難攻不落と見て包囲を解いて退却した。天正2年5月武田勝頼2万騎を以って来攻包囲猛攻、6月18日武田勢… 続きを読む 高天神城
年: 2013年
獅子ヶ鼻砦
2013年12月30日 砦址は小笠町大石にあり、高天神城の東方約3.3㎞、半島状台地の先端部に位置している。山の形が獅子の頭に似ているところから付けられた砦名といわれているが、鹿ヶ鼻とも書く。『三河物語』に「天正7年己卯… 続きを読む 獅子ヶ鼻砦
三ヶ野坂古戦場
2013年12月30日 戦国時代のはじめ頃は、遠江地方は駿河の今川氏の支配下におさめられていたが、今川氏滅亡後は今川氏に代って家康によって治められた。ところが、元亀3(1572)年上洛を目指す甲斐の武田信玄が遠江へ進出し… 続きを読む 三ヶ野坂古戦場
馬伏塚城
2013年12月30日 この城はいつ築かれたか明らかではありませんが、文亀元(1501)年に遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった今川氏が遠江国の支配権をめぐって中遠地域で激しい戦闘が繰り広げられた時に、今川方の拠… 続きを読む 馬伏塚城
長命寺
2013年12月30日 那智山長命寺は天文元(1532)年9月本寺海蔵寺八世日山天恵和尚が開いた曹洞宗の寺であり、本尊聖観世音菩薩は紀伊国(和歌山県)那智山長命寺より伝来したと伝えている。この度海蔵寺開創600年の節目の… 続きを読む 長命寺
木原畷古戦場
2013年12月30日 らん塔のお地蔵さん(笹田源吾の墓)戦国時代、袋井市域は徳川家康と武田勝頼の合戦の場となりました。天正6(1578)年頃には徳川方が優勢となり、遠江の武田方の城は大東町の高天神城だけとなりました。武… 続きを読む 木原畷古戦場
許禰神社(木原権現社)
2013年12月30日 古戦場 木原畷元亀3(1572)年、鷲巣の久野城を攻めた武田信玄はここ木原に陣をはり、浜松城を守る徳川家康の偵察隊と衝突しました。この戦いが世にいう木原畷の戦いです。6年たった天正6年8月、高天神… 続きを読む 許禰神社(木原権現社)
久野城
2013年12月30日 久野城の築城時期は、駿河に本拠を持っていた今川氏が遠江へ侵攻するための拠点として、明応年間(1492~1501)頃に造ったと考えられている。歴代城主は、久野宗隆-元宗-宗能、松下之綱-重綱、久野宗… 続きを読む 久野城
勝頼うたた寝の松
2013年12月30日 天正2(1574)年武田勝頼が軍を進め休憩した場所(棒杭に書かれた文章より) 2010年01月10日 天正2(1574)年武田勝頼が軍を進め休憩した場所(棒杭に書かれた文章より) 北公民館で頂いた… 続きを読む 勝頼うたた寝の松
惣勢山本陣跡
2013年12月30日 天正2年武田勝頼が高天神城攻めの折、ここに惣勢の本陣を置く。(石碑文章より) 2010年01月10日 天正2(1574)年6月武田勝頼は大軍を率いてここに総勢の本陣を置いた、のち惣勢山という。(棒… 続きを読む 惣勢山本陣跡
千人塚
2013年12月30日 天正9(1581)年3月高天神落城時の戦死者多数を埋葬した場所(棒に書かれた文章より) 2010年01月10日 天正9(1581)年3月高天神落城時の戦死者多数を埋葬した場所(棒に書かれた文章より… 続きを読む 千人塚
中村城山砦
2013年12月30日 高天神城跡より東南方向約3㎞の掛川市中の標高約30mの台地上に所在する。北方には雑賀館跡や帝釈山砦跡が所在する丘陵が続き、南側は入り江で海運による兵糧運搬路としても重要な地域であったといわれている… 続きを読む 中村城山砦
火ヶ峰砦
2013年12月30日 高天神城跡の東北東約1.5㎞に位置し、掛川市中方・下土方・岩滑・中地区を境とする丘陵上にある。高天神六砦の中でも最も高天神城に近い位置にある。天正8(1580)年6月に築き、大須賀康高が守備したと… 続きを読む 火ヶ峰砦
三井山砦
2013年12月30日 高天神城跡より南へ約3㎞の掛川市大坂に所在する。ここは小笠山丘陵が南へ張り出す台地の先端部にあたり、西及び北側は尾根続きとなっているが、東には小笠平野が一望でき、南には遠州灘を望む地形である。この… 続きを読む 三井山砦
能ヶ坂砦
2013年12月30日 高天神城跡から北北東約2㎞、掛川市小貫の県道掛川大須賀線が通る西側丘陵上にある。ここは小貫と下土方地区の境にあたり、元々番所が置かれていたといわれている。ここに、家康が天正8(1580)年に砦を築… 続きを読む 能ヶ坂砦
小笠山砦
2013年12月30日 小笠山山塊の中心部が小笠山砦で、掛川・袋井両市と大東町との境に位置する。小笠山砦は、徳川家康が高天神城包囲攻撃のため構えた六砦の一つであり、『小笠郡誌』小笠神社の項に、家康がここに陣を数旬にわたっ… 続きを読む 小笠山砦
陣場峠
2013年12月30日 家康の掛川城攻略の拠点ここは、掛川市杉谷と板沢の頂点境で、もとは青田嶺といわれ、市の中心までは約1㎞の位置で二つの峰からなっている。西を西陣場その西を蛇バミ峠といい東を東陣場という。永禄11(15… 続きを読む 陣場峠
各和城
2013年12月30日 永源寺本堂 各和城の正確な位置は詳らかではないが、木戸口・堀ノ内と呼ばれる水田地帯西側の丘陵に、館跡と思われる各和氏の菩提所永源寺がある。永源寺は南下する宇刈丘陵が国道1号線の近くで東に張り出して… 続きを読む 各和城
掛川城
2013年12月30日 掛川城は、文明年間(1469~1486)頃今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569)徳川… 続きを読む 掛川城
大善寺
2013年12月28日 仁王門 武田勝頼主従 投宿の地(大善寺)全国統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は、織田徳川連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正10(1582)年3月3日、郡内の岩殿城で再起を図ろうと韮崎の新府城… 続きを読む 大善寺
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