阿左美氏館

2013年01月04日 阿左美氏館は、日野沢川左岸の南面した山腹に立地しています。傾斜地に築いた石垣は今もみごとに残されており、二重、三重にめぐらされて、その角々には三箇所の「食違い門」が設けられていました。その門も礎石… 続きを読む 阿左美氏館

高松城

2013年01月04日 高松城は秩父盆地のおおむね北部に当たり、城峯山塊のほぼ南東に占地している。城の南麓を荒川の一支流である日野沢川が急崖を形成し、東は金沢川が南流し、その合流点より北東方500m、通称龍ヶ谷山と呼ばれ… 続きを読む 高松城

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カテゴリー: 皆野町

日尾城

2013年01月04日 史蹟日尾城跡之碑 日尾城は小鹿野町大字日尾と同大字飯田との境にある典型的な山城で、秩父札所31番鷲屈山観音院の岩崖に続く所に要害を構えていた。東が大手で、東西に長く南北は狭い。南と西は切り立った断… 続きを読む 日尾城

椋神社

2013年01月04日 椋神社には本堂があり、ちょうど神社の方がいたので話を聞くことができました。武田軍に焼かれた椋神社は今の本堂の場所から少し離れたところにあったであろうとのことでした。また、すぐ近くの阿熊という部落の… 続きを読む 椋神社

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カテゴリー: 秩父市

菊水寺

2013年01月04日 武田信玄に焼かれたお寺として菊水寺を探しました。現地の正面に立ってみると菊水寺という名前は小さく彫られていて、大きく長福寺と彫られていました。本堂の中に入ってみるとお坊さんがいたので聞いてみました… 続きを読む 菊水寺

広見寺

2013年01月04日 惣門は、桁行2.54m、梁間2.12m、切妻造、茅葺型銅板葺の禅宗様四脚門で、17世紀の造営と考えられる。この門は、随所に中世の手法を用い、門に調和した妻飾り、茅葺型屋根の堂々とした外観は、県下で… 続きを読む 広見寺

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カテゴリー: 秩父市

秩父神社

2013年01月04日 未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄12(1569)年に焼失の後、徳川家康公の力により現在のご社殿が再建されました。家康公は、寅の年、寅の日、寅の刻生まれということで、虎… 続きを読む 秩父神社

今宮神社

2013年01月04日 永禄12(1569)年長岳山金剛寺、大宮山満光寺、今宮観音堂、橋立観音、八大権現社、弁天堂を統括して長岳山今宮坊を称す。長岳山は武甲山を指すものか。49寺を配下に擁し、本山派修験聖護院末26寺の1… 続きを読む 今宮神社

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カテゴリー: 秩父市

熊倉城

2013年01月04日 南曲輪と本丸 熊倉城跡平面図 関東管領山内上杉の家老長尾昌賢の死後、山内顕定は昌賢の弟忠影を家老とした。しかし昌賢の子景春はこれに不満を持ち、文明6(1474)年主家山内家に反旗を翻した。これを知… 続きを読む 熊倉城

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カテゴリー: 秩父市

鉢形城

2013年01月01日 虎口とは出入り口のことで、「小口」とも書きます。江戸時代塙保己一によって編纂された武家故実の書である「武家名目抄」では、「城郭陣容の尤も要会(要害)なる処を猛虎の歯牙にたとへて虎口というなり」と説… 続きを読む 鉢形城

浄法寺城

2013年01月01日 神流川が多野郡の山地を脱する直前の谷地の川の両側にわたる地域に構えられた南北朝期の城である。従って城は埼玉・群馬両県にまたがっている。観応3(正平7、1352)年、浄法寺左近大夫は白塩・高山・小林… 続きを読む 浄法寺城

高山城

2013年01月01日 日野城とも呼ばれ高山氏の城。要害山城、天屋城、百間築地の砦等から構成されている。複合城で珍しいものである。天屋城はこの城の西南部にあり、標高287メートルの三角点にあり北端を本丸としそこから西北、… 続きを読む 高山城

金山城

2013年01月01日 金山城 登山口 金山城跡金山(標高326メートル)を天然の要害とした山城で、永享10(1438)年に、長尾忠房が奉公して、上杉憲実のために築かれたものと言われる。平井城の「詰城」に利用されていたと… 続きを読む 金山城

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カテゴリー: 藤岡市

木部城

2013年01月01日 北側を鏑川の河跡に依託して築かれた木部氏の城である。永禄6(1563)年、武田信玄はここに陣して倉賀野城を攻めているので、木部範虎父子は箕輪に逃れたのであろう。範虎の室は長野業政の女で、箕輪落城の… 続きを読む 木部城

根小屋城

2013年01月01日 武田信玄の財宝世に名高い川中島の合戦は、信州の善光寺平であるが、この附近においても天文18(1549)年新たに武田信玄の手に加わった上州の先手を案内し、甲軍が西上州に侵入した三寺尾の合戦以来、甲越… 続きを読む 根小屋城

山名城

2013年01月01日 源義家の孫新田義重(1116~1202)の子義範は、この城に拠って山名氏と称し、以降8代山名城を護ったという。東西450m、巾の最も広いところは二の丸の部分で南北130m、この城は築城法からみて、… 続きを読む 山名城