真理姫の墓

2013年08月02日 木曽義昌の夫人は武田信玄の女で、天文17年10月甲府より入輿している。『木曽旧記録』には「義昌公御簾中之事」と題する記録が収録されている。(以下略)木曽義昌は天正18(1590)年豊臣秀吉によって… 続きを読む 真理姫の墓

長福寺

2013年08月02日 龍源山長福寺略縁起当寺の創草は遠く大宝2(702)年岐岨山道が開けた頃、当郷薬師平付近に創立された古寺と伝えられ、後小丸山城下に移り富田山長福寺と称していた。木曽家治世の中、永享2(1430)年1… 続きを読む 長福寺

大通寺

2013年08月02日 武田信玄公息女 真理姫供養塔真理姫は武田信玄の三女で、天文24(1555)年木曽に攻め入った信玄が領主木曽義康と和睦した折にその嫡子義昌のもとへ甲府から嫁いできました。そのとき真理姫はまだ6歳ぐら… 続きを読む 大通寺

興禅寺

2013年08月02日 木曽義仲公、木曽の領主木曽家代々、木曽代官山村家代々の菩提所で、木曽三大寺の一つである。当寺は、永享6(1434)年木曽義仲追膳供養のため、木曽家12代信道公が荒廃していた寺を修復再建し、開山には… 続きを読む 興禅寺

福島城

2013年08月02日 本丸 木曽福島町の北側、木曽川と支流黒川に挟まれた東西に走る山は城山と呼ばれている。現在大部分が国有林で樹木が生い茂っている。東端に権現滝の沢によって削られた谷があり、その東側は御城山頂よりも低く… 続きを読む 福島城

小沢川古戦場

2013年08月02日 天文17年7月武田・小笠原の両軍が塩尻峠に戦い、小笠原方三村長親が武田に内応したため、遂に小笠原軍の敗退となって甲軍は松本平にその足跡を印した。爾来5ヶ年武田の軍は安筑の諸城を陥れ、同21年12月… 続きを読む 小沢川古戦場

御君地蔵

2013年08月01日 永禄年間(1558~1570)、飯田城主の坂西長忠と松尾城主の小笠原信貴との領地争いに端を発した紛争が続いた。永禄5(1562)年、坂西長忠が武田勝頼に謀反したとこにより紛争に拍車がかかった。9月… 続きを読む 御君地蔵

小笠原家書院

2013年08月01日 旧小笠原家書院 この建築は伊豆木小笠原家の居館の一部です。伊豆木小笠原家は中世松尾に居城した松尾小笠原家の後裔です。慶長5(1600)年徳川家康より初代小笠原長巨が伊豆木において秣料千石を賜り、こ… 続きを読む 小笠原家書院

投稿日:
カテゴリー: 飯田市

将軍塚

2013年08月01日 祭神は武田信玄公である。上洛の途次、病に犯され雄図空しく帰国の道中にて逝去された。信玄公の遺骸は、我等の先祖からの伝えによりますと密かに人跡未踏の土地へ運びこの土地(現在の横川)へ葬り給い、家臣原… 続きを読む 将軍塚

赤子ヶ淵

2013年08月01日 天正10(1582)年2月、織田信長は、宿敵甲斐の武田氏を討たんとして甲信攻略の兵を進めた。徳川家康との連合した大軍を進めて伊那谷へと侵入して来た。伊那の諸将中、南端に守備する吉岡城の下条氏、松尾… 続きを読む 赤子ヶ淵

投稿日:
カテゴリー: 阿智村

清内路関所跡

2013年08月01日 清内路関所の変遷関所設置の時期については、「伊那郡郷村鑑」に来ノ地士原氏代々居住、永正年中(1504~20)原伝左衛門ハ下条家ヘ属ス。当御関所ハ弘治年中(1555~57)甲州武田晴信当国迄手ニ握リ… 続きを読む 清内路関所跡

投稿日:
カテゴリー: 阿智村

大平神社

2013年08月01日 頭権現天正10年の頃、山伏姿の旅人が神坂峠を越えようとして園原に近い殿島という所に来ました。この時村の熊谷弁治という人が草刈りをしているのを見て道をたずねました。弁治は、その言葉が無礼なのを怒り持… 続きを読む 大平神社