尼寺遺跡

2011年12月31日 この地を字名で尼寺窪とよんでいる。古老の話によると茅葺のお堂があったと話してくれた。堂平に日輪寺があったとされているが、おそらくこの寺に女性が住めなかったと思われる。そこで寺から離れたこの土地に尼… 続きを読む 尼寺遺跡

投稿日:
カテゴリー: 箕輪町

旧富士浅間神社跡

2011年12月31日 旧富士浅間神社跡万延元(1860)年以前までは、ここに富士浅間神社があり、各家の床下の土を持ち寄り60年に一度大きな富士塚と神社を造り祭事を行ってきました。「浅間」は荒ぶる神、火の神であることから… 続きを読む 旧富士浅間神社跡

投稿日:
カテゴリー: 箕輪町

寺山砦

2011年12月31日 平安時代、「上の平城」に伊那源氏の祖源為公が城を構え栄えた頃、村人が外敵から身を守るために山の上に身を隠した避難所ではないかと思われます。城構えは極めて簡単で、山頂を平らにした方形の小郭があり、そ… 続きを読む 寺山砦

投稿日:
カテゴリー: 箕輪町

古式部城

2011年12月31日 古式部城は、ここから西方に伸びる山道を200mほど登った峰の頂上に位置している。東方から連続する山々から西方に伸びる峰の突出した高台にあり、箕輪町北小河内と辰野町樋口との境界にあたる。また標高は1… 続きを読む 古式部城

投稿日:
カテゴリー: 箕輪町

峰畑城居館跡

2011年12月31日 峰畑城は本格的な山城ではなく、城主の居館に接続する土地の一部を城として築いたもので、戦国時代にはこのような城塞を「掻き上げ」とか「砦」といった。主郭は御社宮司社の道を挟んで向かい側、天竜川を見下す… 続きを読む 峰畑城居館跡

投稿日:
カテゴリー: 岡谷市

峰畑城

2011年12月31日 この場所は城跡で、天正年中(1573~92)に武田氏に仕えた駒沢新左衛門がここに拠っていた。地元の人がこの地を掘って陶器の破片を得ることがある。駒沢氏は諏訪50騎の一人である。(長野県の武田信玄伝… 続きを読む 峰畑城

投稿日:
カテゴリー: 岡谷市

文永寺

2011年12月31日 阿弥陀堂 堂内の御本尊、無量寿如来(阿弥陀如来)像は足利時代の有名仏師春日の作と伝えられ、総高245糎の寄木造りの木造仏である。屋根棟にある白色十六弁菊型は皇室の御紋章で当寺が勅願寺の故である。(… 続きを読む 文永寺

投稿日:
カテゴリー: 飯田市

狼煙台跡

2011年12月31日 今は昔のように電信電話や有線もなく、ましてラジオはなかった。それで遠方との通信は「火」や「煙」で知らせあったという。柿の沢野田の裏山には、盛り上がった台のような盛り土がいくつか並んでいる。これはそ… 続きを読む 狼煙台跡

投稿日:
カテゴリー: 飯田市

加々須の茶臼山

2011年12月31日 昔は今のように電話やラジオなどの通信機関が発達していなかったので、山の上で狼煙を上げたり、夜火を焚いたりして連絡を取り合った。戦国時代、武田信玄は各地の見晴らしのよい所に連絡を取るための山を用意し… 続きを読む 加々須の茶臼山

投稿日:
カテゴリー: 喬木村

小野川関所跡

2011年12月31日 この関所は弘治年間(1555~58)に網掛峠から神坂峠を越えて木曽に通ずる要路を押さえるために、武田信玄が設置したものである。(長野県の武田信玄伝説より) ここにあった小野川の関所は、戦国時代に武… 続きを読む 小野川関所跡

投稿日:
カテゴリー: 阿智村

武田信玄火葬塚

2011年12月31日 一ノ瀬義法氏の「武田信玄終焉地考」によると、阿智村の長岳寺には「信玄の火葬場」というものが伝えれているとのことでした。以下同本より文章を抜粋します。—–ここには「武田信玄公… 続きを読む 武田信玄火葬塚

羽場城

2011年12月31日 羽場城の由来内堀、中堀、外堀の址が今も残っている羽場城址は今からおよそ450年前、天文のはじめに下伊那松尾の城主小笠原貞宗の四男、小笠原重次郎がこれを北の沢を濠として建てたといわれている。その後武… 続きを読む 羽場城

五輪塚

2011年12月31日 下辰野のお宮の裏手に三坪ほどの塚があり、武田信玄がここで討ち死にした墓だと伝えている。信玄は桔梗の花が大変好きだったので塚の周りには今でも桔梗の花が咲く。もともと石だけ残っていたものを、明治の頃近… 続きを読む 五輪塚

祝神社

2011年12月30日 延喜式内社埴科郡5社の一つで千年以上の歴史を有す。松城城下時代は町方の産土神、総鎮守社として祀られ、いまも親しみを込めて「お諏訪さん」と呼ばれている。慶長3(1598)年に、生魂命は東条から、健御… 続きを読む 祝神社

投稿日:
カテゴリー: 長野市

萬法寺

2011年12月30日 この寺の宝物に、武田信玄の守り本尊と称する阿弥陀如来がある。(長野県の武田信玄伝説より) 松代のお寺である万法寺に寄りました。お寺の人に会うことができず、また案内板などもなく詳細については分かりま… 続きを読む 萬法寺

光林寺

2011年12月30日 僧春虎が善光寺へ参詣の帰路、その霊験を聞き当地にとどまった折、武田氏の命により天文16(1547)年に現在地へ移し、光林寺を改築したという。永禄4(1561)年に川中島の激戦が止むに及んで、信玄は… 続きを読む 光林寺

霊泉寺

2011年12月30日 霊泉寺の由来この寺は金剛山波羅密院霊泉寺と称し安和元(968)年鎮守府将軍平維茂朝臣の命により空也上人の開山と伝えれれている。その後たび重なる兵乱によって寺は衰えたが、弘安元(1278)年、和田前… 続きを読む 霊泉寺

前山寺

2011年12月30日 当山は新義真言宗の寺院で、本尊は大日如来、かつては信州四ヶ談林の中に数えられた経学の殿堂であり、塩田城の鬼門に位置してその祈願所でもあった。住昔、弘仁年中、独股山を護摩修行の霊場として創立。はじめ… 続きを読む 前山寺

海禅寺

2011年12月30日 海禅寺はその草創は少なくとも平安前期にさか上ると推定され、上田小県地方切っての古刹である。今の東御市に海善寺という集落があるが、これは開善寺(海禅寺の旧名)があったから名づけられた地名である。開善… 続きを読む 海禅寺

信永院

2011年12月30日 金峰山信永寺曹洞宗。上州多胡郡神保つ村仁叟寺も末寺。天文元(1532)年望月左衛門尉信永の開基であり、荘厳和尚の開山と伝えられている。本堂は江戸末期の建築。本尊釈迦如来像は江戸中期の作。本堂前にあ… 続きを読む 信永院