2009年09月05日 碓氷峠から子持山の尾根を通って東端の跳石に達し、そこから直下200mの急坂を下って坂本に出た。下りつめた所の小丘に愛宕山城が築かれている。位置の関係から、上野側の者の築城ではなく、信濃側からの橋頭… 続きを読む 愛宕山城
年: 2009年
多比良城
2009年09月05日 新堀城跡 多比良城ともいい南北250m東西200mで中央の本丸は南北90m東西80mこの外に北郭東郭南郭腰郭帯郭等がある上杉の本拠平井城を本城とし西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた… 続きを読む 多比良城
一郷山城
2009年09月05日 【牛伏山展望台】 牛伏山は、標高491m、万葉集に「多胡峰」と詠まれ、「多胡美人」と呼ぶ朝日岳、羊太夫ゆかりの八束山と合わせ、「吉井三山」といわれる三山の主峰で、その姿が臥牛に似ているので「牛伏」… 続きを読む 一郷山城
長根城
2009年09月05日 戦国時代この左手奥に長根城本丸があり、周囲に堀をめぐらし、南方より西に外堀があった。長根衆が居城し、長根氏、小河原右馬助等の武将が居り、はじめ平井上杉氏、後に武田氏に従った。四百余年昔の天文~天正… 続きを読む 長根城
長福寺
2009年08月13日 一色氏の若狭支配は、貞治5年の範光入部以来、詮範、満範、義範(のち義貫)と続くが、永享12(1440)年5月15日、義貫は大和の陣において安芸守護武田信栄に謀殺された。足利将軍6代義教の命によるも… 続きを読む 長福寺
後瀬山城
2009年08月13日 いにしえは万葉集にも詠われた後瀬山。古くから小浜に住む人々、また小浜を訪れる人々に憩いをもたらす山として存在しています。この後瀬山に戦国の世に叶った山城が築城されたのは、大永2(1522)年のこと… 続きを読む 後瀬山城
発心寺
2009年08月13日 武田元信の代までは名門の守護大名として一応の面目は保っていたが丹後での敗戦、一族逸見氏の叛乱など元光の相続した頃は国内外ともに不安定な情況となっていた。守護館は一色氏以来西津にあったと考えられるが… 続きを読む 発心寺
佛国寺
2009年08月13日 武田元信は父武田国信以上に公家と交わり、飛鳥井兄弟をはじめ、三条西実隆らとの交流があった。文亀2(1502)年6月20日、段銭賦課などの重圧に耐えかねた国衆・百姓らはついに蜂起し武田氏館を攻撃、一… 続きを読む 佛国寺
東光寺
2009年08月13日 武田国信は安芸武田本家の信繁の三男である。系図上は信栄・信賢の弟であり、永享10(1438)年安芸で生まれた。国信の字は兄信賢と同様に彦太郎と呼ばれ、治部少輔、大膳大夫を拝命し、若狭・丹後両国の守… 続きを読む 東光寺
宝憧院
2009年08月13日 真言宗智山派宝憧院薬師寺といい、本尊は薬師如来座像である。山門は峯山の最勝寺跡に残っていたものを明治31年に移築した。寺伝によると、天平2(730)年に泰澄大師が一宇を建立し仏地院と称した。その後… 続きを読む 宝憧院
栖雲寺
2009年08月13日 安芸・若狭武田一族によると、武田信親は武田国信の嫡男で、将軍義尚に可愛がられ、将軍の御供衆となり相伴衆にもなったが、文明17年8月22日に24歳で死去してしまったとのことでした。境内には供養塔があ… 続きを読む 栖雲寺
武田元繁戦死之地
2009年08月12日 安芸の守護は南北朝期初頭から武田氏が信武→氏信と世襲したが、応安4(1371)年に今川了俊に替えられてから、細川氏、渋川氏、山名氏などが歴任し、以降武田氏は事実上分郡の守護職として佐東、安南、山県… 続きを読む 武田元繁戦死之地
有田城
2009年08月12日 有田城跡と有田合戦有田城跡山頂には4つの郭(人工的な平坦面)と、郭の北西端を固める土塁(人口的な土手)が残っている。城主は山県一族有田氏と思われ、東の壬生氏、西の今田氏とともに、室町から戦国時代初… 続きを読む 有田城
熊谷氏の遺跡・土居屋敷跡
2009年08月12日 伊勢が坪城から高松城に本拠を進めた熊谷氏が、天正19(1591)年毛利氏に従って広島に移るまで、平生使用していた屋敷・政庁跡である。背後に高松城をひかえ、前面に根之谷川を天然の堀とした要害の地にあ… 続きを読む 熊谷氏の遺跡・土居屋敷跡
熊谷氏菩提所観音寺跡
2009年08月12日 熊谷氏と三入荘承久の変(1221年)で勝利をおさめた鎌倉幕府は戦功のあった武将たちを西国各地の守護・地頭に任じた。武蔵国熊谷郷(埼玉県熊谷市)の熊谷氏は安芸国三入荘の地頭に任ぜられると間もなくこの… 続きを読む 熊谷氏菩提所観音寺跡
福王寺
2009年08月12日 嵯峨天皇の代。弘仁2(811)年弘法大師の開基の寺であり、堂塔伽藍は淳和天皇の建立による。この寺は大師が諸国を修行中、この山に登り林の中に光る一樹をみつけ、それに不動明王像を彫ったのが始まりとされ… 続きを読む 福王寺
安芸源氏武田一族終焉の地
2009年08月12日 今を去ること四百有余年の昔、天文10年3月13日新羅三郎源義光が末裔、安芸の国守護武田信重はおしよせる大内・毛利の大軍に祖父の地を死守せんと奮戦せしも、衆募敵せず金山城にて一族諸共に自刃す。残りし… 続きを読む 安芸源氏武田一族終焉の地
御水堂
2009年08月12日 此の井戸は、銀山城主武田氏が北門鎮護の祈願所として建立した宇那木神社に献上するために掘ったと伝えられ、古くより浅い井戸ながらも水の涸れることが無く、此の水を戴き病気が治癒した人々も数多く、不思議な… 続きを読む 御水堂
宇那木神社
2009年08月12日 銀山城主(武田山に築城)武田家の北門鎮護の祈願所として御神体を甲斐の国(山梨県)より勧請して建立した由緒ある神社で現在は緑井地区の氏神さまです。(看板資料より)
荻尾山神社
2009年08月12日 武田元綱が繁綱に下知し明応3(1494)年に造営された。その後大利山へ、更にその後現在地に移っている。(祗園西公民館ホームページより) 商業・漁業の守護神として1494年、武田元綱が繁綱に下知状が… 続きを読む 荻尾山神社
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