2013年09月01日 この神社は、石和五郎信光が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を石和の館に勧請して、国衛八幡宮と称したのが始まりといわれています。永正16(1519)年に武田信虎が躑躅ヶ崎に館を築く際に、館の西側に移され府中八幡と… 続きを読む 八幡神社
史跡一覧
興因寺
2013年09月01日 康和2(1100)年義業に開創され天台宗なり。文明2(1470)年中興開基武田信虎拈笑宗英大和尚を請し、曹洞宗に改む。大永年中拈笑一派三百有余ヶ寺の総本寺となり湘南最乗寺の輪番住持職を勤む法燈を継… 続きを読む 興因寺
恵運院
2013年09月01日 平和観音で知られる長松山恵運院は、戦国時代に武田氏代々の庇護を受けて発展した曹洞宗の寺院です。寺には、武田信縄の墓をはじめ、信虎の寄進状や武田逍遥軒信綱の描いた開山雪田宗岳和尚画像など、武田氏との… 続きを読む 恵運院
武田信玄公之像
2004年08月14日 武田信玄は、大永元(1521)年11月3日甲斐守護信虎の嫡男として生まれた。幼名を太郎といい、天文5(1536)年で元服、将軍足利義晴の一字をもらって晴信と名乗る。入道して信玄を称するのは、永禄2… 続きを読む 武田信玄公之像
甲府城跡(舞鶴公園)
2004年08月14日 甲斐国は、天正10(1582)年武田家滅亡後は、織田信長・徳川家康(城代平岩親吉)の時代を経て、天正18(1590)年に豊臣秀吉の支配となり、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長親子により治められま… 続きを読む 甲府城跡(舞鶴公園)
甲斐奈神社
2013年09月01日 当社は、人皇第二代綏靖天皇の御代、甲斐国開拓に際し、甲斐奈山(現、愛宕山)の頂きに白山大神を祀ることに始まり以来延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神として尊崇された。永正年間、武田信虎の築城に際し… 続きを読む 甲斐奈神社
尊躰寺
2013年09月01日 功徳山天尊躰寺は、大永元(1521)年に武田信玄公の父・武田信虎が忠連社弁誉上人に深く帰依し、武田家の古跡に一宇の精舎を建立し真向三尊を本尊とし、弁誉上人を開山として創建された寺です。天文2(15… 続きを読む 尊躰寺
一蓮寺
2013年09月01日 現在の甲府城跡地(舞鶴城公園)は、一条小山と呼ばれ一条忠頼の居館があった。しかし後に一条忠頼は源頼朝に謀殺されてしまい、忠頼夫人は出家してその居館を尼寺とした。その後100余年後の正和元(1312… 続きを読む 一蓮寺
遠光寺
2013年09月01日 遠光寺略縁起当山は甲斐源氏の祖・新羅三郎義光より三代、加賀美次郎遠光公が深く仏法に帰依して、山梨郡小曲村(甲府市小曲町)に一寺を建立し、真言宗感応山遠光寺と称した。建歴元(1214)年のことと伝え… 続きを読む 遠光寺
住吉神社
2013年09月01日 もともとは甲府市高畑にあったものを、武田信義が現在の場所に移したといわれている。武田信義の子、一条忠頼は本拠地を一条小山(後の甲府城の地)に構えて住吉神社を鎮守神として崇敬したとのこと。また、明治… 続きを読む 住吉神社
仁勝寺
2013年09月01日 仁勝寺は、臨済宗の寺で室町時代に甲斐の守護武田信満の二男信長によって開かれた。本尊の聖徳太子16才の像は、鎌倉時代に盛んになった太子信仰の所産で、法身に七条の袈裟をまとった入仏の姿をあらわしている… 続きを読む 仁勝寺
入明寺
2013年09月01日 入明寺の由来法流山入明寺は、浄土真宗の寺で、御本尊は阿弥陀如来。長享元年、村上天皇の子孫である六条有成卿が、本願寺中興の祖第八世蓮如上人によって得度し、浄閑と名乗り甲州路に入り、武田信玄の庇護のも… 続きを読む 入明寺
大泉寺
2013年09月01日 大泉寺総門 この総門は永慶寺から移築されたと伝えられている。黄檗宗様式の門として建物細部の諸要素は宇治万福寺の総門に極めて近似している。永慶寺は宝永7(1710)年、甲府城主柳沢吉保が建立した菩提… 続きを読む 大泉寺
長禅寺
2013年09月01日 天文20(1551)年信玄の帰依僧岐秀和尚が開いた臨済宗妙心寺派の名刹で、信玄が禅法を学んだ所として有名です。天文21(1552)年5月信玄の母大井夫人が没したので、この寺に葬り、本堂北桜林の中に… 続きを読む 長禅寺
法泉寺
2013年09月01日 法泉寺鐘楼門 この鐘楼門は江戸時代初期(1636年)に建てられたもので、素木が用いられている。木鼻の構造や唐草模様などは江戸時代初期の特徴的手法をよく物語っている。内部のつり下げられた銅鐘は、明治… 続きを読む 法泉寺
東光寺
2005年01月09日 法蓋山東光寺といい臨済宗妙心寺派のお寺であり甲府五山の一つである。伝えによれば新羅三郎義光が保安2年(1121)に国家鎮護仏法興隆の祈願所として諸道を建立、本尊に釈迦如来を安置し、興国院と名付けた… 続きを読む 東光寺
小山田信茂の首塚
2013年09月01日 「ものがたり甲斐善光寺」によれば、武田勝頼、信勝父子が田野で滅亡した後、小山田信茂らは、織田軍の本陣となっていた甲斐善光寺に集められましたが、身の危険を感じた信茂は逃走して善光寺金堂の縁の下に隠れ… 続きを読む 小山田信茂の首塚
甲斐善光寺
ホームページ 2013年09月01日 善光寺山門付棟札 5間3戸の楼門で、入母屋造の構造を示すこの山門は、江戸時代中頃の宝暦4(1754)年の大火により、本堂とともに焼失したが、本堂に先立って再建され、明和4(1766)… 続きを読む 甲斐善光寺
華光院
2013年09月01日 真言宗京都智積院の末寺で、真如山華光院良林寺といい、荒神堂の別当寺です。由緒によると本尊は弘法大師作と伝える三宝荒神で、大永年中(1521~28)に武田信虎が荒神堂を建て、堂守に山伏を置いたのがは… 続きを読む 華光院
河尻塚
2013年09月01日 この地は織田信長の家臣河尻肥後守秀隆の首塚とも、また彼の屋敷跡とも伝えられている。織田信長が武田氏討伐の軍を起したとき(1582年)河尻秀隆は軍目付として活躍し、甲斐と信濃諏訪郡の領主となった。背… 続きを読む 河尻塚