上原城諏訪氏館跡(板垣平)

2014年05月18日 上原城諏訪氏館跡(字板垣平)の案内このクルマ道を登れば、長野県指定諏訪氏城跡「上原城」に行きます。右手の石碑から南方平坦地一帯は室町時代後期からの上原城諏訪氏館跡(面積約1ヘクタール)で、戦国時代… 続きを読む 上原城諏訪氏館跡(板垣平)

上原城

2014年05月18日 諏訪氏城跡上原城の案内この道から左方一帯は、長野県指定の諏訪氏城跡上原城です。入ってすぐ右手は大空掘で西方金比羅神社周辺の一帯は三の郭で、ここには中世の築城以来、東方永明寺山より木管により引水され… 続きを読む 上原城

三光寺

2016年12月18日 武田晴信が開基したので、現在でも花菱の紋を用いている。(長野県町村誌より) 応永2(1395)年に開基された。武田信玄の祖信重が僧となり、父信満のために城山の東麓の字満願寺に真如山満願寺を建て、真… 続きを読む 三光寺

高栄寺

2016年12月18日 永禄2(1559)年武田氏の創建と伝えられ、開山は盛喜和尚という。また、寺は武田信玄によって創立されたと伝えられ、永禄2(1559)年10月、富士見町立沢地籍焼地野に祈願寺として建立されたといわれ… 続きを読む 高栄寺

御射山社

2016年12月18日 ここに鎮座する御社山社は、建御名方命と国常立命を祭神としている。中世には、この社のある通称原山の一帯は神野と呼ばれる諏訪上社の社領で、上社の御射山御狩の祭事が行われていた。それは秋季の台風などが平… 続きを読む 御射山社

センボウ塚

2016年12月18日 池袋の馬冷場と呼ばれる池は、花鳥屋合戦の時に馬を冷した場所と伝えられている。池袋には花鳥屋合戦についての口碑が他にも残存し、馬冷場付近のセンボウ塚(センブ塚ともいう)はこの戦いで死んだ者の塚で、千… 続きを読む センボウ塚

九ツ塚跡

2016年12月18日 九ツ塚は、瀬沢合戦の戦死者を葬ったものと伝えられる。瀬沢合戦とは『甲陽軍鑑』によれば、およそ次のような合戦のことである。天文11(1542)年2月、信濃の小笠原・諏訪・村上・木曽の四大将は甲斐の武… 続きを読む 九ツ塚跡

信玄築石

2016年11月28日 昭和初期まで、中道往還が未だ徒歩の旅人や村人たちの通行に利用されていた頃は、此処に信玄築石と墨書した木の標柱が建っていましたが、年月の経過と共に朽ち果ててしまいました。この山裾を中道往還が通過して… 続きを読む 信玄築石

本栖城

2016年11月28日 烏帽子岳より青木ヶ原樹海にせり出した標高約1056mが城山山頂で、狭くて細長い山頂部分に数個の屋根切りを配し、自然の地形を利用し、郭を設け、防備を固めた中世山城の形態が残っています。竪堀には、地山… 続きを読む 本栖城

渡辺氏屋敷跡

2012年11月25日 本栖の城山から南方へおよそ1km、本栖湖畔に近いやや小高い所に屋敷跡が存在している。『甲斐国志』には「宅地ハ村並ニアリ、凡ソ方一町許リ」と見え、渡辺囚獄佑の屋敷跡と伝えている。現在は主に畑と山林で… 続きを読む 渡辺氏屋敷跡

江岸寺

2012年11月25日 曹洞宗の寺院で、甲府市上曾根町に所在する龍華院の末寺である。寺号の龍海山は竜ヶ岳に関係し、江岸寺は湖岸に創築されたことに由来するといわれる。伝承によると、中世・戦国時代に甲駿の国境防備のため、江岸… 続きを読む 江岸寺

本栖石塁

2012年11月25日 本栖の城山周辺樹海のなか、上九一色中学校入口付近から城山の北側までの山裾に、いくつかの溶岩の石積みが残っている。樹海内を通ずる道路によって一部破壊された部分もあるが、往時はその間を中道往還が通って… 続きを読む 本栖石塁

中道往還

2016年11月28日 中道往還は、古代から開かれていたといわれ、甲斐と駿河を結ぶ三つの街道のうち若彦路、富士川街道の間を通る道であることから「中道」と呼ばれるようになったと『甲斐国志』に書かれている。弥生時代から古墳時… 続きを読む 中道往還

勝山城

2014年09月14日 東照権現 谷村城の要害城(非常の場合たてこもる城)として築城されたこの勝山城址には、現在なお、曲輪・堀・石垣・土塁など、多くの遺構が認められる。曲輪は山頂の平坦地(本丸跡)を中心にして、北・東・南… 続きを読む 勝山城

長生寺

2014年09月14日 長生寺の中雀門 長生寺は、寺記によれば、文明元(1469)年8月9日甲斐国守護武田信昌により寺領20石、山林境内1万5千坪が寄進され創立。開山は鷹岳宗俊禅師である。また、永正9(1512)年中興開… 続きを読む 長生寺