黄梅院

2014年07月20日 黄梅院跡黄梅院は、27歳で無くなった武田信玄の娘(名不詳、法名【黄梅院殿水鳳瑞尼】或いは【黄梅院殿春林宗芳大禅定尼】)の供養のため建立された寺院といわれています。娘は天文12(1543)年に信玄と… 続きを読む 黄梅院

泣石

2014年07月20日 下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、巾約2.7m、奥行約3.7mで中央部から水が流れ出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれてしまった。天… 続きを読む 泣石

天沢寺

2014年07月20日 天沢寺は文明4年亀沢郷の地頭飯富氏が鷹岳宗俊禅師を開山に請じて開基した禅刹で北岳禅林の名で知られている。開基檀那飯富氏は逸見光長の子飯富宗李を祖とする甲斐源氏で子孫は武田家の重臣として亀沢、西八幡… 続きを読む 天沢寺

慈照寺

2014年07月20日 有富山「慈照寺」は曹洞宗(禅宗)の別格地で24ヶ寺の本寺である。古くは真言の寺院であったが、室町時代の延徳元(1489)年8月開祖真翁宗見禅師(竜華院開祖桂節宗昌禅師の法嗣)によって禅寺に改めて開… 続きを読む 慈照寺

石和八幡宮

2014年07月12日 第12代景行天皇の御弟、稚城瓊入彦命は東国視察からやがて甲斐の国に入られここに行宮を建て一年有余滞在された。命に随行しこの地を治めた和爾臣(わにおみ)氏は、のちに行宮跡に命と一族の始祖、天足彦国押… 続きを読む 石和八幡宮

板額塚

2014年07月12日 板額塚由来境川村小黒坂小字柳原のこの地は古くより板額塚と口伝されてきたところである。両側の里道は板額坂と呼ばれている古道である。この板額塚は浅利与一義成の妻板(坂)額の塚と言われている。板額女は鎌… 続きを読む 板額塚

諏訪南宮神社

2014年07月12日 笛吹市指定文化財諏訪南宮神社扉絵この扉絵は金箔押しの板戸に濃彩で杉や松、雲形も描かれている。また裏は桜絵となっている。甲斐国志に「扉は逍遥軒信綱寄附ニテ松杉桜等四季ノ草花ヲ描ク。一社分ノ扉ハ今下曽… 続きを読む 諏訪南宮神社

常楽寺

2014年07月12日 穴山伊予守と一族郎党の廟所 童女のてまり歌にうたわれた「一に花鳥ニに小山三につらいは常楽寺」は、小山城主穴山伊予の悲運を今に伝えています。穴山伊予守は甲斐源氏で南部領主(南巨摩郡)穴山信懸の次男で… 続きを読む 常楽寺

蓮朝寺

2014年07月12日 原加賀守昌俊公の墓 原加賀守は、甲斐の国主・武田家の譜代家老として信虎、信玄の2代に仕えた武田家の重臣で、ことに陣場奉行としてその重責を果す。天文18(1549)年に身延山より蓮朝の法名を受け、当… 続きを読む 蓮朝寺

長昌院

2014年07月12日 天正10(1582)年の春はまだ肌寒い風が吹いていました。甲斐国主武田勝頼公は、織田徳川の連合軍に追われて、韮崎に造ったばかりのお城を焼いて、わずかな供を連れて甲州街道を落ちていきました。落人の中… 続きを読む 長昌院

泉龍寺

2014年07月12日 油川山泉龍寺宗派 曹洞宗本尊 十一面観世音菩薩開創 永正11甲戌(1514)年開基 油川入道加賀守信友   戒名 泉龍寺殿新應長壽大居士開山 顧山恵鑑大和尚(三星院第7世) 油川の由来中世は油川庄… 続きを読む 泉龍寺

清道院

2014年07月12日 武田信成公館跡 黒印地 竜沙山清道院寺記当山ハ武田11代刑部太輔信成公ノ夫人清道院殿ノ菩提寺ニシテ境内ハ信成公ノ居城「赤甲城」ナリ。信成公信州へ出陣中落城夫人城内ノ井戸ニ身ヲ投ジ自害ス時ニ応永5年… 続きを読む 清道院

大蔵経寺

2014年07月12日 松本山大蔵経寺当山は、養老年間行基菩薩の創建になると伝えられ、青獅山松本寺と称した。応安3(1370)年甲斐国守武田信成が伽藍を修造し、足利義満の庶子観道上人を講じて中興開山とし、真言宗に改め、そ… 続きを読む 大蔵経寺

山梨岡神社

2014年07月12日 鎮座地春日居町大字鎮目字宮の前1696番地由緒延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇10代宗神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇… 続きを読む 山梨岡神社