新府城

2020年06月20日~21日 天正9年に武田氏の当主武田勝頼が新たに府中の中核として築造した新府城は、韮崎市を貫通する釜無川と塩川の2大河川の開削によって形作られた七里岩台地上にあり、その西崖を活かした要害の地に築城さ… 続きを読む 新府城

武田信義館跡

2013年09月07日 武田の里は甲斐源氏惣領武田氏発祥の地である。今を去る八百余年の昔、源信義がここに居館を構えて武田太郎と号し、甲斐源氏一族を率いて強大な武力を誇った。治承4(1180)年高倉宮以仁王の令旨を奉じて平… 続きを読む 武田信義館跡

願成寺

2013年09月07日 山門 山門概説前の山門は寛文2(1662)年曹洞二世中興赫山?奕和尚代建立された。約200年を経た元治元(1864)年8月9日大暴風雨のため倒壊す。平成2(1990)年12月信義公遺徳顕彰会に依り… 続きを読む 願成寺

白山城

2014年03月21日 本丸 甲斐源氏武田氏の祖武田信義の要害として築かれた伝承を持つ白山城は、戦国期に武田氏の領国経営の烽火台ネットワークの拠点的城郭として、甲府盆地北部における枢要な位置を占めていた。また新府城防衛の… 続きを読む 白山城

為朝神社

2013年09月07日 為朝神社は鎮西八郎為朝を祀った神社で元歴元年甲辰年武田太郎信義が社殿を建立し、為朝の画像と大長刀を納め神霊を祀った。後文化13年3月源氏の直系深沢文兵衛源直房等がその衰退を憂い、昔日の面影を再現し… 続きを読む 為朝神社

浅利与一之館址

2004年08月14日 大福寺から勝山城へ向う途中の走行中に偶然上記の看板を見つけました。この上の高台のところが館址なのだそうですが斜面が急で登るのが大変そうだったので今回は断念しました。

割石峠

2010年03月22日 割石峠は勝坂峠と共に駿河に備える要害で、峰には一つ陣が築かれ、烽火台もあった。むかし信玄が駿河に向かう途次この峠で休息し、太刀を抜いて樹木を切り道を開いた。その際傍らの百貫石が、御威光に恐れて二つ… 続きを読む 割石峠

印石

2010年03月22日 ①高田村源昌寺の境内に高さ三尺(約90センチ)ばかりの自然石があり、この石に掌の形を押した跡がついている。これを弘法大師がつけたともいい、また武田信玄だともいうが、このあたり3、40戸の集落には、… 続きを読む 印石

善福寺

2007年11月17日 安永年中(1775頃)には、善福寺と大竜寺のみで、門前の竹薮を切り開いて長屋を建て7軒になったのが始まり。天正の武田氏滅亡の時、一条右衛門太夫信就の戦跡。老狐「おまん女」の伝説。竹越の地名が残る。… 続きを読む 善福寺

一条塁跡

2007年11月17日 武田信玄は始祖武田信義の嫡男、一条次郎忠頼に始まる一条家の名跡の絶えているのを惜しみ、異母弟一条右衛門太夫信竜をたてて家跡を継がせた。信竜は、ここ上野の地に塁城を築き、その子上野介信就と共に、二百… 続きを読む 一条塁跡

長昌院

2005年04月15日 現地に到着して本堂の正面に行ってみるとお寺の方がいたので毘沙門天像について聞いてみました。彼は熱心に刃物を洗っているようでしたが、一度もこちらを見ることなく、毘沙門堂の場所を教えてくれました。毘沙… 続きを読む 長昌院

平塩寺

2013年12月22日 白雲山平塩寺平塩山白雲寺とも呼ばれた平塩寺は、天平7(735)年、僧行基が直辨和尚を開山として、平塩に建立し、東塔院は阿弥陀如来、西塔院は薬師如来を本尊とした法相宗の寺院にはじまる古い寺です。延暦… 続きを読む 平塩寺

了泉寺

2007年11月18日 了泉寺は跡部大炊助の屋敷跡であるとのことで今回立ち寄りました。境内に車を乗り入れてみると少年たちが野球をしていました。最初に彼らに話しを聞いてみたら、住職を呼んでくれました。しかし住職は耳が悪いら… 続きを読む 了泉寺

法善寺

2013年12月22日 史跡加賀美遠光公館跡甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の曾孫加賀美遠光公はこの地に館を構え、遠く京都にまでその名を知られた鎌倉時代の名将である。高倉天皇御病の折、遠光公は文武両道の達人として勅命により宮中… 続きを読む 法善寺