2010年03月22日

常葉氏は秋山光朝の別れといわれる。館跡といわれる場所の周辺には、城台・御城平・関口・城の下・城の道・木戸口などの関連地名が残されているが、館跡は現在小中学校敷地となっていて館の形態を留めていない。
(山梨県の武田氏伝説より)
永禄8(1565)年信玄の嫡子義信が謀反を企てたという事件が起きたのだが、この事件に常葉氏も連座して処分され、家は断絶してしまったと言う口碑伝承がある。
言い伝えによれば、事件の主謀者とみられていた飯富兵部とは、日頃親しく交際していたので、二人は既に内通していたものと信玄から強く疑われ、穴山氏の家臣に成敗されたという説である。
(下部町誌より)