2009年10月04日 武田信玄が率いる常勝武田軍団が敗れた戦いが、上田の地で二度ありました。それが北信濃に総力をもつ村上義清との間に行われた、天文17(1548)年の上田原合戦と天文19(1550)年の砥石城の戦い(砥… 続きを読む 上田古戦場公園
史跡一覧
観音寺
2014年09月28日 上田原合戦討死者菩提寺観音寺信玄が村上義清と戦い地の利にまさる義清によって敗戦の苦汁を飲まされたといわれる。信玄自信も傷を負い、武田勢は上原城に退却を余儀なくされた。村上、武田両軍合わせて1万7千… 続きを読む 観音寺
信玄道
2014年09月28日 天文17(1548)年2月、甲斐(現在の山梨)を出発した武田晴信(後の信玄)は大門峠、砂原峠を越え、倉升山のすその御陣ヶ入畑に陣を敷いた。いっぽう村上義清は天白山のふもとの塩田川原に、産川を前にし… 続きを読む 信玄道
無名戦士の墓
2014年09月28日 石久摩神社の本殿裏を進むと道路があってその先は田圃でした。収獲された稲が干してありましたがその中に無名戦士の墓があります。 2009年10月04日 石久摩神社の本殿裏を進むと道路があってその先は田… 続きを読む 無名戦士の墓
小島権兵衛の墓
2014年09月28日 天文17(1548)年、甲斐の武田晴信(信玄)と村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方・甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信も傷を負い武田軍が大敗した。村上… 続きを読む 小島権兵衛の墓
屋代源吾の墓
2014年09月28日 伝 屋代源吾の墓(下之条壱丁田)天文17(1548)年、甲斐の武田晴信(信玄)と村上義清が上田原の地で対決した上田原の戦いは、村上軍の攻撃により武田軍の武将板垣信方・甘利虎泰らが戦死し、大将の晴信… 続きを読む 屋代源吾の墓
雨宮刑部之墓
2014年09月28日 上田原合戦のあらまし天文17(1548)年2月甲斐の武田晴信(後の信玄)は、大軍を率いて、小県郡に攻め込んだ。地元葛尾城主村上義清はこれを迎え討ち、同月14日この地で激しい合戦が行われた。この戦い… 続きを読む 雨宮刑部之墓
石久摩神社(上田原古戦場碑)
2014年09月28日 天文17(1548)年旧暦2月、信濃攻略を進めていた武田信玄と、坂城町の葛尾城を本拠とする村上義清が武力衝突したのが上田原合戦です。信玄は南東にある倉升山、義清は北西にある天白山の麓にそれぞれ陣を… 続きを読む 石久摩神社(上田原古戦場碑)
伝板垣駿河守信方の墓
2014年09月28日 板垣家は、甲斐源氏・武田信義の流れをくむ武田家の名門です。信方は、武田信虎・信玄の二代に仕えた武田家の重臣であるとともに、傅役として若き日の信玄を支えてきたことから、信玄から大きな信頼を得ていたと… 続きを読む 伝板垣駿河守信方の墓
法善寺
2014年11月16日 法善寺由緒法善寺は、元法相宗岩龍山西谷寺と称し、奈良興福寺の末寺と推定され、興福寺の前身山階寺の寺封「信濃二百戸」と新抄格勅符抄に載っている中の一ヶ所がこの西谷寺を中心とした地域であろうと見られて… 続きを読む 法善寺
猿ヶ馬場峠
2003年09月22日 猿ヶ馬場峠を越えるとその先には川中島平が開ける。武田信玄が信州の強敵を討ち滅ぼし、越後の上杉謙信との間で死闘が繰り広げられる川中島への出口の峠として、なんだか重要な意味を持つ峠のように思っていまし… 続きを読む 猿ヶ馬場峠
麻績城
2014年11月16日 麻績城跡からめて入口 戦国時代に麻績の地を支配したのは服部氏で、古屋敷に居館を構えた。天文22(1553)年3月末、甲斐の武田晴信(信玄)が四賀村の苅谷原城、会田の虚空蔵山城を破って筑摩北部地方に… 続きを読む 麻績城
切通し
2014年11月16日 善光寺街道随一の名所。天正8(1580)年に青柳伊勢守頼長により切り開かれた。元禄11(1698)年には「長さ13間5尺、横8尺5寸、高さ1丈」と記され、その後享保元(1716)年、明和6(176… 続きを読む 切通し
清長寺
2014年11月16日 天正元(1573)年青柳城主青柳伊勢守頼長が開基。最初、やや北方の里坊の地に、父清長の菩提を弔うために創立した。後に小笠原氏が青柳氏を滅亡させたあと、居館跡の現在地に移して整備したといわれている。… 続きを読む 清長寺
青柳城
2014年11月16日 青柳城跡及び館跡清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。初めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。小笠原氏滅亡後、武田信玄… 続きを読む 青柳城
柏鉢城
2009年05月03日 東西12間(約22m)、南北18間(約32m)。虫倉山の西にある。言い伝えによれば、弘治・永禄年中に武田の家臣市川梅印という者が居住したという。(長野県町村誌より) 廣福寺に車を止めて、近所の方を… 続きを読む 柏鉢城
小川村郷土歴史館
2009年05月03日 小川村役場で真名板城の場所を聞いたときに、役場の人が小川村郷土歴史館に行けば大日方氏に関する展示をしているので是非行ってみてくださいと教えてくれました。 鎧兜 川中島の合戦で実際に使用されたもの。… 続きを読む 小川村郷土歴史館
真那板城
2009年05月03日 山の中段にあり、北は険しく東西二百余間(約360m)の中に、中の城、天神城があり、峰続きの長い城である。北東に当たって五町(約545m)余有、谷川を隔てて根古屋がある。地名を下垂、また霜末という。… 続きを読む 真那板城
明松寺
2009年05月03日 当山は大町市平駒沢にある大沢寺の末寺です。その開基は今から約四百年前の戦国時代にさかのぼります。天文21(1552)年7月、小川城主大日方直政の時代に、甲斐の武田信玄が安曇から小川に侵攻してきまし… 続きを読む 明松寺
小川城(古山城)
2009年05月03日 古山城跡本地域は、長野県最古の古文書である「天養文書」に初見される、最勝寺領小川庄に属する。古山城は純然たる山城で、標高860mの山頂にあり、本丸、旧本丸、本郭、曲輪、空掘、詰城などの形跡を残して… 続きを読む 小川城(古山城)