興津城

2014年12月07日 この城は興津城とも呼ばれ、今川氏の重臣であった興津氏の居住した城である。興津氏は入江氏(藤原)の一族でその祖は維道(又は近綱)といわれ、「保元物語」に息津四郎、「承久記」には興津左衛門の名があり、… 続きを読む 興津城

狼煙場

2014年12月07日 狼煙場についてこの地は狼煙場と呼ばれ、昔の蒲原城の、東北方面を補強するための物見台、危急を知らせる烽火台が置かれたとされる伝承の地であります。保健休養林整備事業の実施にあたり、この地に歴史的な背景… 続きを読む 狼煙場

蒲原城

2014年12月07日 本郭南曲輪 蒲原城は、蒲原丘陵から孤立した城山層を要塞化した山城で、築城時期は室町時代の前期頃か。築城者は今川氏が駿河守護として入国した後、その一族によって築城したものと思われる。文献上には特定の… 続きを読む 蒲原城

勘助坂

2005年07月03日 祖父貞久は、長男貞宗に家督を譲り、吉野本家の近くの石の宮に次男貞幸を連れて隠居したといわれています。ここは勘助が子供の頃遊んだ「勘助坂」と言い伝えられている急坂であります。竹馬に乗った勘助が近所の… 続きを読む 勘助坂

安女の墓(山本勘助母の墓)

2014年01月18日 安女の墓吉野本家の墓地を整備した際、孤立していた「安女の墓」を吉野本家の墓域の中(一番右手)に移し、改めて供養したものです。墓前には解説の碑も建立されています。(看板資料より) 山本勘助の母の墓山… 続きを読む 安女の墓(山本勘助母の墓)

山本八幡宮

2014年01月18日 八幡宮で、祭神は応神天皇だが、この神社の社叢を多田の森といい、祭神は多田満仲(源満仲)だともいわれる。山本氏神社である。(看板資料より)

山本勘助誕生地

2014年01月18日 「山本勘助誕生地」碑武田信玄に仕えた軍師山本勘助は、山本の吉野に生まれた人であるといわれ、同家の門前に「山本勘助誕生地」の碑が建てられた。吉野家は南北朝時代に当地に居住したといわれる旧家で、勘助は… 続きを読む 山本勘助誕生地

源立寺

2014年01月18日 小田原の北条氏は、豊臣秀吉が天下を統一した時に臣下の礼をとらなかったことを理由に天正18(1590)年に攻撃を受けて落城し、悲劇的な末路をたどることになった。その当主(4代)氏政の墓が、本市場の南… 続きを読む 源立寺

医王寺

2014年01月18日 山本勘助のお墓生誕地は富士市山本、明応2年吉野貞幸、安女の三男源助として生まれ、12才で三河国牛窪、大林左衛門の養子となり名前を勘助と改めた。しかし実子が生まれたため、35才の時に離縁し山本勘助と… 続きを読む 医王寺

善得寺

2014年01月18日 史跡善得寺跡本寺は、貞治2(1363)年、大勲策禅師が上杉憲顕の援助によって開山した寺で、戦国期には河東第一の伽藍を誇り、善得寺城をも併設したといわれ、天文年間に今川、武田、北条氏の駿河東部を中心… 続きを読む 善得寺

足柄城

2012年01月14日 足柄城は国境の城としての性格を持ち、本格的に築城工事が行われ、城としての形態が整えられたのは後北条氏の治世下である。その時期がいつかは不明だが、「相州古文書」に足柄城普請についての記事(天文24年… 続きを読む 足柄城

深沢城

2003年06月01日 この城は今から約460年ほど前の戦国時代に、駿河の今川氏が築城したと伝えられている。その後小田原の北条氏が占領して、黄八幡で有名な北条綱成が守備していたが、元亀元(1570)年11月、甲斐の武田信… 続きを読む 深沢城

葛山館跡

2014年01月18日 葛山館跡は、12世紀前半(平安時代)から16世紀後半(室町時代)にかけ、東駿一帯に勢力を振るっていた葛山氏が平時居住していた館を構えた地である。館跡は、東西約97メートル、南北約104メートルで約… 続きを読む 葛山館跡

葛山城

2014年01月18日 葛山城は鎌倉・室町・戦国期を通じて、関東一帯に勢力を持った葛山氏の本拠地である。この地には葛山氏が平時居住した館跡と、戦闘に備えて築城した城跡があり、中世城郭の形態を明確に知ることができる数少ない… 続きを読む 葛山城

長久保城

2003年06月01日 長久保城の起源は、鎌倉時代初期に竹の下孫八左衛門が長久保の地に砦を築いたのがはじめであるといわれている。竹の下孫八左衛門頼忠は、藤原家一門の出で、足柄の竹の下を根拠としていた。伊豆国や大岡庄の北条… 続きを読む 長久保城

祐泉寺

2014年12月07日 戦国時代西暦1567年早雲寺第8世梅隠宗香禅師を開山とし、小田原北条氏初祖早雲の三男幻庵の嫡男新三郎が建立する。新三郎は蒲原城主として駿河進攻を目指す武田信玄に対する中心武将として対峙していたが、… 続きを読む 祐泉寺

蔵六寺

2008年03月22日 蔵六寺に笠原新六郎の墓があるとのことで今回立ち寄りました。笠原新六郎は北条氏の重臣である松田憲秀の子で後に笠原家の養子となり、武田勝頼との国境の最前線である戸倉城をまかされていた。沼津三枚橋城の武… 続きを読む 蔵六寺

山中城

2005年01月30日 史跡山中城跡山中城跡は、文献によると小田原に本城のあった北条氏が永禄年間(1558~1570)に築城したと伝えられる中世最末期の山城である。箱根山西麓の標高580mに位置する自然の要害に囲まれた山… 続きを読む 山中城