2001年10月07日 この霊屋は、明暦2年(1656)掛川城主北条氏重が幕府に願い出て、徳川3代将軍家光の霊牌を祀るために建てたものである。当時の建物は文化15年(1818)3月火災によって失われ文政5年(1822)当… 続きを読む 龍華院
史跡一覧
掛川城
2013年12月30日 掛川城は、文明年間(1469~1486)頃今川氏の家臣が掛川古城を築いたことに始まります。永正10年(1513)頃に現在の位置に移り、今川氏の遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569)徳川… 続きを読む 掛川城
高天神城
2013年12月30日 高天神城全景 高天神城想像図 追手門 元亀2年3月武田信玄2万5千騎を率いて来攻、城門を襲ったが難攻不落と見て包囲を解いて退却した。天正2年5月武田勝頼2万騎を以って来攻包囲猛攻、6月18日武田勢… 続きを読む 高天神城
富田城
2012年02月19日 富田城址は、菊川町富田字吉沢にある。城地は菊川の流れが狭い谷間を流れて平野部に入る移行部にあたり、北方には富田川が丘裾を洗い、北東から南へ流れる菊川に合流している。富田川を北堀、菊川を東堀に用いた… 続きを読む 富田城
横地城
2010年01月10日 牧之原台地の一志尾根が奥横地へ舌状に延びており、その先端を含め、東西約1.5㎞の地域が横地城である。別名を金寿(きんす)城といい、おそらく室町時代初期、近隣の勝間田・新野氏の城とほとんど同じ頃築城… 続きを読む 横地城
黒田代官屋敷
2010年01月10日 小笠町下平川志茂組にあり、徳川家の直参旗本本多日向守の知行地、下平川、嶺田の一部および三沢の四千五百余石を支配する代官所跡である。この代官職は、今川氏以来この地を知行する黒田氏によって継続されてき… 続きを読む 黒田代官屋敷
獅子ヶ鼻砦
2013年12月30日 砦址は小笠町大石にあり、高天神城の東方約3.3㎞、半島状台地の先端部に位置している。山の形が獅子の頭に似ているところから付けられた砦名といわれているが、鹿ヶ鼻とも書く。『三河物語』に「天正7年己卯… 続きを読む 獅子ヶ鼻砦
小長谷城
2008年03月22日 「小長谷城」は「小長井城」または「徳谷城」とも呼ばれ、中世にこの地に居住した武将小長谷(井)氏の居城と伝えられています。築城年代その他の史実は明確ではありませんが、現在残されている遺構は室町時代中… 続きを読む 小長谷城
三光寺
2005年02月12日 曹洞宗満家山 三光寺京都天竜寺開山夢窓国師の開闢の地である。長く廃絶していたが、約380年前中川根町上長尾智満寺5世才岩存芸大和尚が再興して、曹洞宗寺院となる。3世察伝和尚の代に家光公より朱印6石… 続きを読む 三光寺
諏訪原城
2004年05月01日 諏訪原城は天正元(1573)年武田勝頼の臣馬場美濃守氏勝を築城奉行として築かれた規模雄大な山城であり、当時の東海道武田領の最前線牧の原台地の東北角を占めた天然の要害であった。遺構は、本丸、二の丸、… 続きを読む 諏訪原城
竜眼山城
2012年02月19日 城址は、高根山丘陵南端から東方駿河湾に張り出す丘陵の先端、標高80mにあって東西2郭から構成され、榛原公園の地が主要部で、北西と南西隅に土塁の一部が残存するが、公園として早くから整地された結果、ほ… 続きを読む 竜眼山城
滝境新城
2004年05月01日 滝境城は元亀2(1571)年武田信玄が馬場美濃守に命じて築いた山城です。牧之原台地の東南につき出た所で、海を見下ろす高さ約70メートルの丘の上にあります。東・南・西の三方は急な崖で、北側には空壕が… 続きを読む 滝境新城
相良城
2004年05月01日 天正4(1576)年勝頼は高天神城の防衛拠点として相良城を築いた。その場所は定かではないが「高天神記」に「同12日相良へ出給い、湊の脇に城取有り高坂弾正縄張也」とあり、同年3月勝頼が兵糧を高天神に… 続きを読む 相良城
勝間田城
2012年02月19日 勝間田城は後に、今川氏や武田氏により改築されたと考えられており、特に多くは武田氏によるものと考えられ武田式の手法、及び規模が各所で見出される。この勝間田城は全域に特色ある明瞭な遺構を残し、種々の時… 続きを読む 勝間田城
大熊備前守屋敷跡
2014年12月28日 元亀2(1571)年武田信玄は、徳川家康の将、松平左近真乗の守っていた山崎の砦を攻め落とし、砦を修築して小山城と命名し、大熊備前守父子を城代とした。ここは城代の屋敷跡である。小山城より約6町(約6… 続きを読む 大熊備前守屋敷跡
小山城
2014年12月28日 ここは永禄11(1568)年末、武田氏によって山崎の砦が築かれたところで、武田・徳川の駿遠分割協定に基づき、家康は家臣松平真乗に大井川下流を支配下に納めようとして砦を攻撃させた。元亀2(1571)… 続きを読む 小山城
朝比奈城
2014年12月28日 朝比奈城址は、岡部町役場から北西へ朝比奈川に沿って約5㎞北上した朝比奈郷の中心殿(との)部落背後の山頂にある。朝比奈郷は駿河北部山間地を東西に走る間道の中継地として早くから開けた所で、すでに弘安7… 続きを読む 朝比奈城
岩田山城
2010年01月10日 岩田山城址は、大井川(栃山川)の流れを前面に控え、西から東へ走る岩田山の南側斜面にある。現在、岩田山城に関係する史料的な裏付けは皆無であるが、城の位置・発掘状況などから推測して、ここが城址だったと… 続きを読む 岩田山城
田中城下屋敷
2001年10月08日 田中城は今から500年ほど前、この地の豪族である一色氏が今川氏の命を受けて、その屋敷を拡大して城としたのがその始まりだといわれています。その後、武田氏の手に落ち、さらに江戸時代になって四ノ堀が増設… 続きを読む 田中城下屋敷
田中城
2012年02月19日 田中城本丸跡田中城は同心円形に四重の堀と土塁で造られていたが、本丸は四角で480坪(1580㎡)と小さく、本丸内には御殿やお亭のみで天守閣のような建物はなかった。(看板資料より) 田中城案内図 田… 続きを読む 田中城