2015年02月07日 浜松市役所西駐車場、南西の隅に「家康鎧掛松」がある。もとは浜松城内庖丁堀のそばにあった。元亀3年徳川家康が三方原合戦より帰城し、この松の木の下に憩い、着ていた鎧を脱いで枝に掛けた、という由緒から「… 続きを読む 鎧掛松
史跡一覧
夏目次郎左衛門吉信の碑
2004年04月30日 夏目次郎左衛門は三方原合戦で徳川家康の身代りとなって討ち死にした徳川軍の将です。おかげで家康は無事浜松城に逃げ帰ることができました。
犀ヶ崖
2013年01月27日 犀ヶ崖資料館 前回訪問した時には夕方だったこともあって中に入ることができなかったのですが、今回は開館中でしたので中に入ることができました。資料館の管理人の方が中を案内してくれて、三方原の地形の立体… 続きを読む 犀ヶ崖
本多肥後守忠真顕彰碑
2004年04月30日 この碑は、本多肥後守忠真の忠義を称えて、第17代本多子爵により明治24年に建立されました。本多忠真は徳川草創期を支えた徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将です。本多忠真は三方原の戦いで… 続きを読む 本多肥後守忠真顕彰碑
二代目根洗松
2013年12月31日 2004年04月30日 三方原の合戦の際、武田信玄の本陣がおかれたといわれるのがこの根洗松付近だったそうである。祝田の坂を下ると見せかけて徳川軍をおびき出すことに成功し、一転陣形を立て直して徳川軍… 続きを読む 二代目根洗松
祝田坂
2013年12月31日 三方原の戦いから現在までにすでに420年の歳月が流れている。三方原の戦いでは武田軍三万に対し、徳川軍は援軍を含めても一万一千、三分の一の兵力で、しかも老練な戦術家の信玄に立ち向かうことは極めて不利… 続きを読む 祝田坂
三方原古戦場
2013年12月31日 元亀3(1572)年12月22日、徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ二万五千の兵力に対し徳川軍はおよそ一万一千の兵力を以って戦いを挑み、戦闘約二時間といわれるも、結果は大敗に終わっ… 続きを読む 三方原古戦場
玄黙口跡
2015年02月07日 徳川家康が浜松城を築く時に、玄黙に門をつくって玄黙口と称しました。三方ヶ原の合戦で敗れた家康は、犀ケ崖の手前に旗を立てさせ、逃れ来る味方を集めて玄黙口から収容し、自身も夏目次郎左衛門正吉が「我が家… 続きを読む 玄黙口跡
浜松城
2015年02月07日 天守閣 浜松城の沿革浜松城は徳川家康が築いたものです。家康は永禄11年(1568年)に三河から遠江に入り、各地を転戦して、引馬城をはじめ諸城をしたがえると共に、浜松城の築城に着手しました。元亀元年… 続きを読む 浜松城
引馬城
2015年02月07日 徳川家康は永禄12年5月掛川城に籠もる今川氏真を降伏させ、氏真は北条氏を頼って伊豆の戸倉に入り、ここに戦国大名としての今川氏は実質上滅亡することになったが、同時にこのことは、遠江が家康の掌中に入っ… 続きを読む 引馬城
浜松八幡宮
2015年02月07日 元亀3(1572)年12月、三方原合戦に敗れた家康は、天林寺に入り、義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み、甲州勢の追手を逃れて武運を祈願した時、楠の上に瑞雲立ち昇り、神… 続きを読む 浜松八幡宮
光明城(高明城)
2013年12月31日 光明城(高明城)光明城は「遠江国風土記伝」等によると、享禄年間(1528~1532)に、朝比奈時茂が築城し、又太郎泰方が継いで在城したとあるが、はっきりしたことは分からない。但し、元亀年間(157… 続きを読む 光明城(高明城)
只来城
2005年02月12日 天竜市内から国道362号線で春野町方面に進み、只来のトンネルの手前を右に曲って旧道を少し進んでいき、東光寺手前付近で農作業をしていた方に只来城の場所を尋ねました。地元で言われている只来城の場所はト… 続きを読む 只来城
清瀧寺
2013年12月31日 本堂 天正7(1579)年9月15日岡崎次郎三郎信康が信長の口難に逢い二俣城において自刃した。この時浜松へ二俣村役人共が呼び出され、二俣には浄土宗の寺院何ヶ寺あり寺の名は何というか書き出せと仰渡し… 続きを読む 清瀧寺
和田ヶ島砦
2012年02月12日 砦跡は、天竜川を挟んで二俣城の対岸、約650mの地点にある。阿多古川と天竜川の合流点にある標高30m余の突出した尾根の先端部に築かれたもので、地元ではこの山を「とりて山」と称している。天正3年、二… 続きを読む 和田ヶ島砦
鳥羽山城
2013年12月31日 二俣城とは二俣川を挟んで向き合う地点の鳥羽山に築かれた城である。北から南下して流れてきた天竜川が大きくカーブするため三方を川によって囲まれ、南東部のみ峰続きとなり二ヶ所の堀切を構築することによって… 続きを読む 鳥羽山城
二俣城
2013年12月31日 天竜市指定史跡 二俣城址二俣城の構造標高90mの台地上に築かれた二俣城は、北側から北曲輪、本丸、二之曲輪、蔵屋敷、南曲輪がほぼ一直線に配置されている。天守台のある本丸の南、北にそれぞれ虎口を設け、… 続きを読む 二俣城
秋葉山神社下社
2013年12月31日 2001年08月12日 秋葉山神社に行く予定はなかったのですが犬居城のすぐ近くに下社があったので寄ってみることにしました。ここには昔来たことがあるはずなのですがすっかり忘れていました。上社はここか… 続きを読む 秋葉山神社下社
犬居城
2013年12月31日 犬居城址概要犬居城は、領主・天野氏の居城だったもので、行者山(標高250m)の頂に、東西600m、南北650mに遺構が広がる県内でも代表的な中世城館跡であり、静岡県史跡に指定されている貴重な文化財… 続きを読む 犬居城
向笠城
2010年01月10日 詳細については未詳ですが、戦国時代に今川氏、次いで武田氏に属した向笠氏の居城と伝えられています。戦略的な要地にあり、徳川方に対抗する武田方の一支城として機能したと考えられています。近辺にも「城屋敷… 続きを読む 向笠城