滝川助義の墓

2012年05月04日 滝川助義の墓設楽原の合戦においては、織田信長麾下瀧川一益の旗本として左翼最前線で奮戦。また澤の尻の殿戦に於いては武田方笠井肥後守を討取り、信長公より感状、賜盃、銘照重の太刀を拝領するなど抜群の戦功… 続きを読む 滝川助義の墓

滝川源右衛門助義・笠井肥後守満秀相討の地・橋詰さんばし跡(鵜の首)

2014年08月15日 橋詰さんばし跡 わ「わが主君の身がわりとげし笠井肥後」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 天正3年5月21日長篠の役・設楽原の合戦は武田方に利なく日が西に傾くにつれ武田方は殿戦へと押されてい… 続きを読む 滝川源右衛門助義・笠井肥後守満秀相討の地・橋詰さんばし跡(鵜の首)

小屋久保

2006年05月05日 む「村人はいくさをさけて小屋久保」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)  かるたでつづる設楽原古戦場によれば、織田・徳川軍が設楽原に進出してきた際、設楽原の住民には5人組でまとまって… 続きを読む 小屋久保

馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)

2014年08月15日 馬場美濃守信房之碑 馬場信房戦死之地から少し南に行ったところに馬場美濃守信房之碑があります。ここには馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓と書かれた看板があります。また、いろはがるたの看板もあり、「… 続きを読む 馬場美濃守信房之碑(馬場美濃守信房の墓、同彦五郎勝行の墓)

橋詰殿戦場

2014年08月15日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房らは、勝頼が落ち延びていく姿を確認してこの地で最後の戦いを行った。 2003年10月12日 武田軍総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信房… 続きを読む 橋詰殿戦場

大久保兄弟陣地

2014年08月16日 せ「先陣の大久保兄弟うって出る」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 連吾川の下流地域は、両岸が切り立った崖のようになっていて、ちょっとした谷間を形作り、その間を蛇行するように川が流れている。… 続きを読む 大久保兄弟陣地

広瀬の渡し(鳥居勝商上陸地)

2014年08月16日 き「奇襲隊広瀬をわたりで鳶ヶ巣へ」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 広瀬の渡は、酒井忠次率いる軍隊が鳶ヶ巣砦を奇襲すべく進む途中、この広瀬付近で豊川を渡って行ったそうです。また鳥居強右衛門… 続きを読む 広瀬の渡し(鳥居勝商上陸地)

勝楽寺前激戦地

2014年08月16日 京「京めざす武田の雄図今悲し」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より) 2003年10月12日 京「京めざす武田の雄図今悲し」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)

勝楽寺

2014年08月16日 本堂 当山は大本山に永平寺を仰ぐ六百余年の曹洞禅寺で、永平寺十四世勅賜直指円性禅師が幼少から御修行なされた名刹で、その因縁によって「出世観音様」をお祀している。三世玄賀和尚は、名僧の誉高く家康の遠… 続きを読む 勝楽寺

雁望山登り口

2006年05月05日 す「強右衛門のろしをあげし雁峰山」(設楽原古戦場いろはかるた看板資料より)  雁望山は鳥居強右衛門が狼煙をあげた山です。上の俳句の設楽原古戦場いろはかるた看板資料は丸山砦の北側と、羽柴秀… 続きを読む 雁望山登り口