海野幸義戦死の地

2006年12月03日

1541(天文10)年に武田信虎・晴信父子、村上義清、諏訪頼重連合軍が小県に兵を進め、海野氏、禰津氏、望月氏などの滋野一族との間で合戦(神川合戦)が行われ、海野棟綱の子もしくは弟といわれている海野幸義が戦死した所とのことです。
この戦いで敗れた幸隆などの真田一族は碓氷峠を越えて上州に逃れたそうです。
真田幸隆は海野棟綱の子とされていることからひょっとしたら海野幸義と真田幸隆は兄弟かもしくは伯父甥の関係だったのかもしれませんね。

佐久から室賀に向かう途中の国道18号線を走行中に右側に何やらそれらしき看板を見かけたのでUターンして現地に行ってみるとやはりにらんだ通りの史跡でした。
思いもかけず武田に関する史跡を見つけることができてうれしかったです。
現地は信濃国国分寺から少し東側に行ったところです。大きな碑が立っていて右奥のほうには用水路のようなものがありその先にも石碑のようなものがありましたが詳細については不明です。

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