諏訪の木城

2012年12月23日 三国街道の北側台上に築かれ、東半は兵力の多寡により取捨する「捨て郭」である。天正9(1581)年6月、真田昌幸は塩原源太左衛門を置き、同17年、北条氏の手に移って望月主計・塩原清左衛門が守った。本… 続きを読む 諏訪の木城

宮野城

2012年12月23日 永禄3(1560)年、長尾政虎(謙信)がここに一泊した時、8本の歯が抜けて掌に落ちた夢を見て不興がったのを、直江実綱が「関八州を手に入れる吉兆」と説いた。謙信は申年生まれ、この年も申年だったので、… 続きを読む 宮野城

高浜砦

2012年02月24日 永禄9(1566)年、武田信玄の箕輪攻撃はこの砦の奇襲から開始された。箕輪・鷹留間の防衛主軸を分断すべく、那波無理之助宗安は250の兵を率いて夜間、雉郷・里見の防衛網を隠密通過し暁の烏川を越えて高… 続きを読む 高浜砦

長谷寺

2012年02月24日 白岩の長谷寺、通称「白岩観音」は、朱鳥年間(686-696)に開基されたことが「長谷寺縁起絵巻」に伝えられている。本尊の十一面観音立像は、総高230cm、像高180cmで、かや材の一木割矧造で素木… 続きを読む 長谷寺

長純寺

2012年02月24日 長野業政公 供養塔 信濃山 長野業政公 供養塔中央が長野業政公の墓、左が万霊菩提の為に大乗妙典1千部を誦された記念塔、右が業政公令室の墓と伝えられている。業政公は長野氏60年間の箕輪城主の中でも最… 続きを読む 長純寺

鷹留城

2012年02月24日 鷹留城は、中世永禄期(1558-69)の中規模山城の典型であり、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切等の各種遺構が原形に近く残っている点では県内希な城跡である。明応年間(1492-15… 続きを読む 鷹留城

長年寺

2012年02月24日 長年寺長野氏の墓 中央が初代鷹留城主で、長年寺開基、長野業尚の墓である。左右に3基づつ歴代の墓が並んでいる。五輪塔墓石の最下段である方形石の地輪正面に、それぞれ戒名が刻まれている。慶岩長善庵主:長… 続きを読む 長年寺

麻場城

2009年09月05日 麻場城は、戦国時代のこの地の豪族白倉氏の居城であり、東方約500mに存在する仁井屋城と併せて「白蔵城」と呼ばれ、典型的な別城一郭(双子城)であると言われている。当城は、戦国時代初期の築城とされ、豊… 続きを読む 麻場城

蔵人城

2009年09月05日 本城は蔵人城(くらんど城)という梯郭式の山城である。南部の主郭部は北半分より10m以上高い。主郭部は南北50m、幅20mの本丸と、その南に掘切りを隔てた方20mのささ郭から成り、ささ郭南側掘切りが… 続きを読む 蔵人城

愛宕山城

2009年09月05日 碓氷峠から子持山の尾根を通って東端の跳石に達し、そこから直下200mの急坂を下って坂本に出た。下りつめた所の小丘に愛宕山城が築かれている。位置の関係から、上野側の者の築城ではなく、信濃側からの橋頭… 続きを読む 愛宕山城

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多比良城

2009年09月05日 新堀城跡 多比良城ともいい南北250m東西200mで中央の本丸は南北90m東西80mこの外に北郭東郭南郭腰郭帯郭等がある上杉の本拠平井城を本城とし西方の固めとして一郷山城と共に別城一郭をなしていた… 続きを読む 多比良城

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一郷山城

2009年09月05日 【牛伏山展望台】 牛伏山は、標高491m、万葉集に「多胡峰」と詠まれ、「多胡美人」と呼ぶ朝日岳、羊太夫ゆかりの八束山と合わせ、「吉井三山」といわれる三山の主峰で、その姿が臥牛に似ているので「牛伏」… 続きを読む 一郷山城

長根城

2009年09月05日 戦国時代この左手奥に長根城本丸があり、周囲に堀をめぐらし、南方より西に外堀があった。長根衆が居城し、長根氏、小河原右馬助等の武将が居り、はじめ平井上杉氏、後に武田氏に従った。四百余年昔の天文~天正… 続きを読む 長根城

石倉城

2005年05月05日 石倉城鳥瞰図 石倉城は文明17(1485)年上野国守護代で蒼海城主の長尾忠房の嫡子、長尾憲景が築城した。応仁の乱が終わって8年後(1477)のことである。当時の利根川の本流は現在の広瀬川周辺より左… 続きを読む 石倉城

平井城

2005年05月01日 平井城築城平井城は永享10(1438)年に勃発した永享の乱に際し、時の関東管領山内上杉憲実が、総社(蒼海)の長尾忠房に命じて築城したとされる説と、応仁元(1467)年に上杉顕定が築城したとされる説… 続きを読む 平井城

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顕徳寺

2005年04月30日 天正10(1582)年、武田勝頼が織田、徳川、北条などに攻められた時に、真田昌幸が武田勝頼を岩櫃城に迎え入れるために岩櫃城搦手付近にあたる場所に御殿を建てました。しかし武田勝頼は岩櫃城に来ることな… 続きを読む 顕徳寺

前橋城(厩橋城)

2005年04月30日 前橋城碑の解説前橋は古くは厩橋といった。東山道の群馬の駅が近く、それが地名の起りであろうという。厩橋城が築かれたのは15世紀末頃で、初代城主は箕輪城主長野氏の一族長野左衛門尉方業(法号固山宗賢)と… 続きを読む 前橋城(厩橋城)

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尻高城

2005年04月30日 尻高城跡案内図 尻高城応永8(1401)年3月白井城主長尾重国の家臣により築城が始まる。同十年完成。重国の三男重儀城主となり尻高氏を名乗り左馬頭と号す。小屋の村落の東北方の「ゆうげい」と呼ぶ岩山が… 続きを読む 尻高城

並木城

2005年04月30日 尻高城の里城であるが、現在は城跡のみである。南からの比高は10m以上、東からも5m高く、この両方向には腰曲輪様の部分も認められる。東から南に、幅25m長さ100mの鍵形の部分が武者走りで、その西の… 続きを読む 並木城