2005年08月06日 上杉家歴代藩主の廟所で、藩祖謙信公を中央にしてその両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。9代から12代までの廟は10… 続きを読む 上杉家廟所
月: 2025年4月
林泉寺
2005年08月06日 春日山林泉寺上杉謙信公の祖父長尾能景が、父重景の菩提を弔い勲業を顕彰しようと、明応5(1496)年越後高田(現新潟県上越市)に開基建立した曹洞宗の寺院です。寺号「林泉寺」は長尾重景の法名、山号「春… 続きを読む 林泉寺
長福寺
2009年08月13日 一色氏の若狭支配は、貞治5年の範光入部以来、詮範、満範、義範(のち義貫)と続くが、永享12(1440)年5月15日、義貫は大和の陣において安芸守護武田信栄に謀殺された。足利将軍6代義教の命によるも… 続きを読む 長福寺
後瀬山城
2009年08月13日 いにしえは万葉集にも詠われた後瀬山。古くから小浜に住む人々、また小浜を訪れる人々に憩いをもたらす山として存在しています。この後瀬山に戦国の世に叶った山城が築城されたのは、大永2(1522)年のこと… 続きを読む 後瀬山城
発心寺
2009年08月13日 武田元信の代までは名門の守護大名として一応の面目は保っていたが丹後での敗戦、一族逸見氏の叛乱など元光の相続した頃は国内外ともに不安定な情況となっていた。守護館は一色氏以来西津にあったと考えられるが… 続きを読む 発心寺
佛国寺
2009年08月13日 武田元信は父武田国信以上に公家と交わり、飛鳥井兄弟をはじめ、三条西実隆らとの交流があった。文亀2(1502)年6月20日、段銭賦課などの重圧に耐えかねた国衆・百姓らはついに蜂起し武田氏館を攻撃、一… 続きを読む 佛国寺
東光寺
2009年08月13日 武田国信は安芸武田本家の信繁の三男である。系図上は信栄・信賢の弟であり、永享10(1438)年安芸で生まれた。国信の字は兄信賢と同様に彦太郎と呼ばれ、治部少輔、大膳大夫を拝命し、若狭・丹後両国の守… 続きを読む 東光寺
栖雲寺
2009年08月13日 安芸・若狭武田一族によると、武田信親は武田国信の嫡男で、将軍義尚に可愛がられ、将軍の御供衆となり相伴衆にもなったが、文明17年8月22日に24歳で死去してしまったとのことでした。境内には供養塔があ… 続きを読む 栖雲寺
小谷城
2017年06月04日 番所 小谷城の主要部への入口に位置する。通常、番所があった所といわれる。登城道に面して南北に細長く石垣を組み、周辺には腰曲輪が点在する。北側の石垣上に一段高い平地がある。現在、北谷から登る林道(自… 続きを読む 小谷城
安土城
2017年06月04日 安土城天主台跡 安土城天主台跡安土城の天主は、完成してからわずか3年後の天正10(1582)年6月に焼失してしまいます。その後は訪れる者もなく、永い年月の間に瓦礫と草木の下に埋もれてしまいました。… 続きを読む 安土城
宝憧院
2009年08月13日 真言宗智山派宝憧院薬師寺といい、本尊は薬師如来座像である。山門は峯山の最勝寺跡に残っていたものを明治31年に移築した。寺伝によると、天平2(730)年に泰澄大師が一宇を建立し仏地院と称した。その後… 続きを読む 宝憧院
新羅善神堂
2005年08月04日 堂は三間四方の流れ造り。屋根は桧皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。暦応3(1339)年に足利尊氏が再建した。新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。源頼義の子義光… 続きを読む 新羅善神堂
馬場塚
2009年05月02日 奈良県安堵町に馬場塚というものがあるとのことで高野山の帰路立ち寄ってみました。場所はすぐに分かりました。近くでちょうど年輩の男性の方が農作業をしていたので話を聞くことができました。彼の話によると馬… 続きを読む 馬場塚
三光神社
2015年02月28日 創建は第18代反正天皇の御宇にして以降神職として、武内宿弥の苗裔たる武川氏が86代に渉って奉仕された当社は古来より日本全国で唯一の中風病除の神として知られ崇敬者は全国に存在し6月1日から7日まで祈… 続きを読む 三光神社
心眼寺
2015年02月28日 真田幸村出丸城跡 従五位下 真田左衛門佐豊臣信繁之墓 真田信繁は、武田信玄配下の武将であった、父真田昌幸の次男、通称は源次郎、号は好白。関ケ原の戦いでは父と共に西軍に付くも、戦いに敗れ、紀州九度山… 続きを読む 心眼寺
安居神社
2015年02月28日 安居神社由緒略記少彦明神を奉祀したのは古文書が散逸したので現在は詳かではないが、非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は医薬禁厭(医術・薬方・まじない)智慧の祖神として、その霊験はまこと… 続きを読む 安居神社
茶臼山
2015年02月28日 茶臼山歴史について慶長3年、1598年8月18日、豊臣秀吉は63才で死去。死の直前、徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家の五大老、現在風でいえば大物大臣である。さらに五奉行に石田三成… 続きを読む 茶臼山
真田幸村休憩所
2015年02月28日 真田幸村休憩所跡由緒かっての戦国の武将真田幸村(1567~1615)大阪夏の陣のおり南河内誉田方面において東軍伊達政宗軍と一戦を交えた後古市街道を経て大阪城へ帰城途中この地にて休憩し志紀長吉神社へ… 続きを読む 真田幸村休憩所
草内の渡し場跡の碑
2005年08月04日 本能寺の変の際、徳川家康とともに堺にいた穴山梅雪は三河岡崎に戻る途中、木津川草内の渡し付近で一揆のために命を落としたといわれている。穴山梅雪が家康を疑っていたためであるとか、持病の痔が悪化したため… 続きを読む 草内の渡し場跡の碑
飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)
2005年08月04日 穴山梅雪墓 天正10(1582)年に、織田信長が明智光秀に殺された本能寺の変が起こったとき、泉州堺(大阪府堺市)に滞在していた徳川家康は、京都を避けて急いで居城の三河(愛知県)の岡崎城に帰るため、… 続きを読む 飯岡共同墓地(穴山梅雪墓)