勝栄寺

2013年10月13日 屋代越中守勝永の墓 屋代氏は、代々信濃国埴科郡屋代郷に居を構えていたが、天文・弘治の頃、本州に移り武田晴信の配下に属す。武田氏滅亡後は、徳川家康の幕下で功績があった。元和9(1623)年8月に66… 続きを読む 勝栄寺

信光寺

2013年10月13日 正治年間(1200年)武田氏5代石和五郎信光公ニヨリ創建。当時、真言宗金剛院ト称シ班山々麓ニ所在セルモノ如シ、永正2(1505)年華岳玄桃和尚改宗シテ現山寺号トナル。寛永元(1624)年三枝土佐守… 続きを読む 信光寺

山本勘助屋敷墓

2006年12月03日 山本勘助屋敷跡の案内図 事前の調査によると、須玉インターチェンジを降りて北のほうに向かっていくと高根クラインガルテンの北のあたりに山本勘助の墓があるとのことでしたので今回立ち寄ることにしました。長… 続きを読む 山本勘助屋敷墓

谷戸城

2013年10月13日 「ほくと山城の里」大治5(1130)年、常陸国(茨城県)から甲斐国に配流となった源義清・清光親子の土着は、甲斐国に大きな歴史のうねりをもたらしました。甲斐源氏の誕生です。清光(1110~1168)… 続きを読む 谷戸城

妙林寺

2013年10月13日 山梨県指定有形文化財 木造薬師如来坐像妙林寺は現在曹洞宗であるが、かつては天台宗に属し、この像はそのころの本尊をみられている。内刳りのある桧材の寄木造り、菊座式の割矧ぎ挿し首、漆箔の像である。法衣… 続きを読む 妙林寺

清光寺

2013年10月13日 清光寺の総門 附棟札 造立年月日 享和元(1801)年10月長坂町指定文化財 長坂町指定文化財歴史資料 清光寺の制札制札とは、寺社や道ばたなどに立てた、禁止や命令を墨書きした木の札のこと。清光寺に… 続きを読む 清光寺

高竜寺

2013年10月13日 山高氏代々の墓 甲斐源氏一条忠頼の死後、甥の武田信長が一条氏を継ぎ、その孫時信が子供達を武川筋に封じた。時信の孫信方が山高に封じられ始めて山高氏を称した。山高氏は天文元(1532)年、信之の代に高… 続きを読む 高竜寺

三分一湧水

2013年10月13日 三分一湧水は古くから下流集落の生命の源泉であり、住民これにより田畑を耕し、くらしを立ててきました。三方向に等量に分水する独特の手法は、争いを避けるための先達の知恵であり、学術的にも高く評価されてい… 続きを読む 三分一湧水

獅子吼城

2013年10月13日 別名「江草城」。地域では、「城山」と呼んでいる中世の山城。山頂の広くて平坦な主郭(本丸)を中心に斜面には、平らな石を積み上げた石垣と、それらを用いて区画した多数の曲輪。斜面を縦断する縦堀りが配置さ… 続きを読む 獅子吼城

正覚寺

2013年10月13日 山門 天保年間建立。間口三間半奥行三間の楼門作りにて楼上に釈迦王尊、十六羅漢、五百羅漢を安置する。(看板資料より) 本堂 伽藍の中心的建物にして明和年間に建立。間口拾間、奥行九間半。本尊虚空蔵菩薩… 続きを読む 正覚寺

平賀源心の墓

2013年10月13日 平賀源心と上木戸武田信玄の時代、若神子には陣所がおかれ信州方面への出陣のおり、陣立てが行われていた。江戸時代には宿場として栄えた。宿場の南と北には東西に石塁が築かれていて上木戸は「上の棒道」と呼ば… 続きを読む 平賀源心の墓